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釆女伝説

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福島県郡山市教育委員会編より
郡山の伝説 /  監修 大島 建彦

悲しい伝説「うねめ物語」

 

 

 

 

 

むかし、あさかの里、山の井というところに、小糠次郎(こぬかじろう)とお春という夫婦がすんでいました。二人はたいへんなかがよく、野良仕事(のらしごと)にも次郎は、お春の絵姿(えすがた)を木の枝にかけておくほどでした。

 

そんなある日、次郎はいつものように野良に出てはたらいていると、とつぜん強い風が吹き、枝にかけたお春の絵姿が空高くまいあがってしまいました。ちょうどその時、奈良(なら)の都からあさかの里にきた葛城王(かつらぎのおう)の一行の前に、その絵姿が落ちてきました。葛城王はその絵姿を見て、あまりの美しさのため、ぜひ会ってみたいと思いました。葛城王は、お春を宴席(えんせき)の(接待せったい)に呼ぶように命令しました。なにしろ葛城王の考え一つで、村が納(おさ)める年貢(ねんぐ)も多くも少なくもなるというえらい人です。お春はいわれるままにその席に出ました。その時、

 

「安積山影(あさかやまかげ)さえ見ゆる山の井の 浅(あさ)き心をわが思わなくに」

訳:安積山の影が映って見える山の井のように、浅い心で君にお仕えしているのではありません

という和歌(わか)をよんで、王をもてなしました。王はたいへん喜(よろこ)びました。
そして奈良の都に帰るとき、むりむりお春をつれていきました。都へ行ったお春は、采女(うねめ)となり、はなやかなくらしをしていましたが、次郎のことは片時(かたとき)もわすれることはできず、中秋(ちゅうしゅう)の名月(めいげつ)の夜、館(やかた)をぬけだし、猿沢(さるさわ)の池(いけ)に身(み)を投げて死んだように見せかけ、あさかの里をめざして走り続けました。

やっとあさかの里にたどりつきわが家に帰ってみると、夫の次郎はお春を失った悲しみから、すでにこの世にはいませんでした。お春は、あまりの悲しさに、山の井の清水に身を投げて死んでしまいました。 里の人たちは、かわいそうに思い小さな塚(つか)を建てて、采女塚(うねめづか)と名づけました。
やがてみちのく安積の里にも春が訪れ、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れていた。

だれ言うともなく、二人の永遠の愛が地下で結ばれ、この花になったのだと噂をした。「安積の花かつみ(学名ヒメシャガ)」とは、この花のことです。

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この悲しい伝説が縁(えん)で、奈良(なら)市と郡山市は姉妹都市(しまいとし)になりました。そして、昭和40年には、夏の祭りとして「うねめまつり」が始まりました。

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