万葉歌碑巡り〜うねめ伝説〜
Part2山ノ井公園in片平町


片平町にある「うねめ伝説」発祥の地。
朝廷のうねめとなった春姫の悲恋物語が語り継がれており、姫が入水したと伝えられる「山ノ井清水」がある。今からおよそ1,300年前、奈良の葛城(かつらぎ)王に采女(うねめ)として召された春姫が、許婚(いいなずけ)と家族を恋しく思い、奈良の猿沢の池に身を投じたと見せかけて、安積(あさか)の里<郡山市片平町>に舞い戻ってきます。しかし、既に愛しい許婚も家族も亡くなっており、春姫は生きる望みの全てを失い、許婚の入水した山の井の清水に身を投げてしまうという悲恋物語です。入り口立て看板の内容です。

山ノ井農村公園
山ノ井農村公園(やまのいのうそんこうえん)は、福島県郡山市片平町にある公園である。うねめ公園の別名でも知られる。

朝廷のうねめとなった春姫の悲恋物語が語り継がれており、姫が入水したと伝えられる「山ノ井清水」があります。
安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心をわが思はなくに
訳:安積山の影が映って見える山の井のように、浅い心で君にお仕えして いるのではありません
(万葉集 巻16-3807)福島県の文学碑より


山ノ井清水は日和田の安積山公園と片平の山ノ井公園の2つある。
およそ千三百年前、酸康国安藤の無(里)は、数年に及ぶ単笑図作が無き年員を落約しておりました。奈良の部から、投察使として葛城王(後の左大臣商談)がこの地に派 遺され村重の状況を視察中、里人達は乾状を訴え、王を歓待する宴を盛大に催し、無命にもてなしましたが、王の機味は悪くなるばかりてした。そこて国司は一計を案じ里 の層自麗しい”春姫、を召し出しました。
春姫は満座の中、里人を数おうとまの前に進み出て、盃に清水を注ぎ
「変横山影さえ見ゆる山の井の浅き心を我が思わなくに」 (万薬集)
と家み主に枠けました。和駅にすぐれた王は、
「都の花を今節に見る」
とことのほが 喜ばれ怒りも解け、春姫を帝の女として召し出す事を条件に、さらに三年間の年真を 気除するここを約束しました。軍人達は王に感謝し、笹原川まて見送りました。春婚に は、次郎という夫がおりましたが、村里の露状を教うためとやむなく別れ都に上がりま した。帝の能愛を受けていた春姫でしたが、次郎や黒人への思いが募るばかりでした。袋 沢の池の群で月見の宴が開かれた中秋の名月の夜、変席を離れ柳の木に衣を掛け、池に身 を投げたように見せかけて、一路安積の那をめざしました。身も心も疲れ果てようや くの思いで村里へたどり着いた春姫は、次郎の死を知り悲観にくれ、里人達の温情もか なわす、山の井清水の端の桜の枝に、衣を掛けて消水に身を沈めこの世を去ったと言う。里人達は、これを悲しみ地形山に熱り供養したと伝えられています。やがて春が 訪れ清水の辺り一面に薄紫の可な花”ハナカツミ,か咲き乱れました。二人の永選の愛が清水で結ばれ、この花になったと言われています。
(郡山市観光協会片平支部・片平歴史の会より)
篝火

王に捧げた和歌の歌碑のとなりにうねめ春姫の塚
朝積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
1915年(大正4年) 片平青年会 建立
写真中央石碑(福島県の文学碑より)

采女供養記念碑
高台にある東屋から池を展望出来ます。
鶴亀とは、「神の守り」...
山の井農村公園と表示の立て看板にある鶴岩・亀岩を探してみては


安積山(額取山)?
入口間近に山ノ井立て看板がありその後側に山ノ井の清水、石碑があります。大きな池には亀岩、鶴岩があり、さらに左の階段を登ると神門、社殿があり公園内を一望できます。公園内にはブランコ・トイレ・所々に東屋・遊歩道を歩き千枚田を眺めながら
一周出来、四季を楽しめそうですね。また、4月上旬にはカタクリや桜が見ごろを迎え7月は紫陽花、8月にはうねめ祭り初日に行われる「うねめ供養祭」で賑わい大きな池に咲くハスの花が見ごろを迎えます。是非足を運んで見てください。

Katakuri flower カカタクリの花
種から7年 目でようやく花咲く、春を告げる山の妖精
控えめにうつむきながら可憐に咲くカタクリの花。
カタクリは、ユリ科・カタクリ属の植物で、日本全国の幅広い地域に自生しています。カタクリの種は、7年~8年ほどの時間をかけて球根になり、春になるとその球根から葉を出します。カタクリの花が開花する時期は、3月~6月ごろなのですが、自生しているカタクリは絶滅危惧種となっている地域が多く、大切に保護されてるのだそうです。
可憐な花を咲かせるカタクリは、開花まで7年ほどかかり、やっと地上に出たと思ったらひと月も経たないうちに枯れてしまいます。別名「春の妖精」とも呼ばれています。